鮮やかな夜

気持ちがぎゅっと動いた時に、たまに文章が書きたくなるので、ただのブログをはじめてみようと思った。


わたしは、人間、仕事をしているときが一番かっこいいと思っているんだけど、やっぱりそれは正しいんだろうな、とはっきり考えていた。

楽器を弾いてすてきな人は、いつでもステージの上で一番かっこいいところを見せ続けていてほしい。

昨日は久しぶりにライブハウスに行って、とても良いバンドを2つ見た。


どちらのバンドも、嬉しいきもちになるバンドだった。

特に1つ目のバンドはバンドメンバーの人数が多く、ときたま後ろにいる人の音が聞こえていないこともあったと思う。

でも、それでいいんだろうな〜と気がついた。くそまじめなわたしにしては衝撃的な発見だった。

あの人が今出した音は、マイクに拾われず、雑音にすら参加していなかったかもしれない。

だけど、あの人がリハにいたことで、今日ここにいることで、ほかのメンバーの音色って根本的に変わるだろう。

あの人が歌うから、歌わなくなった人。あの人が鳴らすから、リズムを変えた人。あの人がいるから、緊張した響き、リラックスした重なり。それがバンドってもんだろう。

そしてそれが、もしかしたら、社会かもしれないし、会社かもしれない。


わたしはゲームやイベントを作る会社の、中身の制作班だ。

そろそろ入社して一年。

もう一歩、リーダーになる側に気持ちを持っていかなきゃならないし、かといってまだまだ新人だから、たくさん学びたいし、学ばせてくれそうな人の側にいたい。

そんなことを考えたりしているが、わたしってなんの役に立ったろうと、お金をもらえるたびにしょんぼりした気持ちになってきた。

まだ何も成していないのに。

未来に投資されて良い額はもうとっくに越えてしまった。

わたしにはなにができるんだろう。どうしたらいいんだろうとずーっとぼんやり考えてきたが、昨夜、そのバンドを見て、なんだか少しすっきりした。

多分、何かを成したかどうかを判断するのはわたしじゃない人の仕事であって、

わたしがすべきことは、「何かする」だけのことなんだろうなぁって。

それは極端にいうと、毎日出社する、だけでもいいのかもしれない。

チームに参加したことで、変わった何かは絶対にある。それはできれば良い方に変わったほうがいいのだろうけど

もしそうじゃなかったときも、どうしてそうなったか知りたい。またみんなで話したい。

人と関わること、チームになることの本質はそれなのかもしれない。

「あなたとわたしはチームです」と全員が認識すること。

それはチーム外の人もみんな。

社会ってそういうことなのかもしれない。

そんなことを思った。



大人になるってすてきなことばかりなのかも。



次のバンドは、大学のころの後輩がいるバンドだ。

「うち1人知り合い」というだけで、もう真っ当な判断は難しくなっているのだけど、

これまた素晴らしいバンドだった。

アルコールがまったくだめなわたしだけれど、少しだけ呑んだ。

呑んでいて良かったと思った。

とても自由に曲を聴くことができた。


彼は、はじめてあったときから、水の気配のする子だと思っていた。

波の立たない湖のような海で、揺らぐような。そういう場所の近くで、たくさんそういうものを眺めて育ったんだろうなというような。

彼の声や存在からは、そんなイメージがすぐ浮かぶ。

悲しいことや、どうしようもないことを、ただそのままに沈めているような、そんな、すこしふしぎな男の子だった。


彼は、顔はとてもかっこいいんだけれど、分厚いメガネを掛けている。

曲の合間に、メガネを外して汗を拭く。少女漫画か。メガネを掛ける。のび太くんか。演奏しているうちに、どんどんメガネがずり落ちて、とても不便そうに演奏を続ける。ギャグか。


わたしはもしかしたら、とても愛情深く、感受性が豊かな人間なのかもしれない。

いや、まあこれは良く言いすぎたけど。

彼が楽しそうに演奏している姿を見て、心から嬉しく思った。

「自分に向いている場所」に流れ着いたことは、幸運以外の何物でもないと思った。


それと同時に、やはり、やれることのすべてをしないのは、世界に対する損失だとも思った。

やれる環境があり、もしそこに辿り着いているのだとしたら、

自分の能力が最も生きる選択をしなければ。

わたしはわたしが最も得意なことを、きちんとやらなくてはならないなぁ、と思った。



わたしは昨夜、わたしといままで出会った全ての人が、自分に向いた、素敵な場所に辿り着けますように、とこっそり願ったのだった。