「星野源」という宗教

わたしは星野源のことが「めちゃくちゃ好き」ではない。
ただ、アルバムは新しい方から2枚持っているし、様々な分野にわたって素晴らしい才能を持った人物だと思っている。
あと、なんだ、こういう言い方はとても嫌いなのだけど
死にそうな病気だったのにその淵から生還した、というスター性がまたすごい。
へらへら笑いながら「だまれブス」とかは思われてみたい。

ここまで読んでみて、なんだなんだ、めちゃくちゃ好きなんじゃねーかサブカル女が!
と思った方、ちょっと早とちりですよ。
わたしは、星野源という人間の、音楽家の面、そして文筆家の面の2つしか知らないのだ。

新幹線に乗ろうと思った時、星野源のアルバムを聴こうと思った。だから、星野源のエッセイも読もうと思った。
今現在、この2つに支えられて文字通り生き延びている。
星野源の音楽は、ジャズに似た雑音と、オーケストラに似た奥行きと、ポップで密度の高いギターがころころ弾ける感覚が面白く、ずっと興味深く聴ける。
「音楽を聴く」というやることがあるから、座っていられる。

わたしは極度の閉所恐怖症で…というかもうなんかそういう様々な精神疾患を重ねて持ってしまっていて、ちょっともう、普通の日常生活が送れないことがたくさんある。
星野源の「地獄でなぜ悪い」を聴くと、こんなわたしは、沢山の人に守られて生きているんだな、ということを反芻することができる。

入社の最後の面接のとき、酷い閉所恐怖症だから、飛行機には乗れないし、新幹線もよくて各停のこだまで、体調の悪い時は鈍行でしか移動できないんですが、それでもいいですか、と聞いた。
これだけは言わないと、みんな困るから。これで落とされても仕方ないと思って死ぬ気で聞いた。
すると、
「きみおもろいな、じゃあなんでこんな人閉じ込める仕事したいんや?」
と、聞き返された。
「え……、きっと、わたしは、他の人の何倍も脱出したいとか変化したいって思っているから。だから、誰もが脱出したいと思うシチュエーションや、脱出したときの感動を誰よりも色濃く演出できるんです。絶対です!」
と、言った。死ぬ気で入りたかったから、はじめてそのとき浮かんだ言葉を、そのまま言った。
そうしたら、取ってもらえた。
今も、わたしの毎日のできないことについても、それは、個性やから。できないことを無理にやって、能率を下げんでええよ、とずっと言っていただけている。

そういえば最近、「どうしてこんなことができないんだ」と、言われない。
自分のことは自分で決めて、できないことはできないんです、ときちんと言って、ちゃんと暮らしていけている。

なんてラッキーな生活なのだ。
わたしには持て余すほどの豊かさだ。
この、充実した社会環境の隙間に、星野源が存在する。
どうしようもない出来事の隙間で、そっと音楽を聴いたり文字を追ったりする。
「働く男」と「働きたくない男」の狭間を揺れ動くさまを想像する。
考えすぎてしまうわたしだから、もっと考えすぎてしまいそうな人のことを想像して、あの人よりは、楽だろな〜と、思う。

いまもまだ星野源を聞いている。
そろそろ大阪だ。
もう一度言うが、わたしは星野源のことが、めちゃくちゃ好きなわけではない。