パンケーキ

思い出話をします。

あるとき、雑用のお手伝いに来てくれた子がいました。
その子は「今日はお休みの日だったのだけど、最近なんだかもやもやしていたから、誰かとお話がしたくて来たんです」
と、言いました。
わたしが個人的に呼んだお手伝いだったので、金銭が発生するわけでもなく。
おいしいお料理を作って、じゃあ!という気持ちで、たくさんお話をしました。

2回目にその子が来たとき、「今はウェブデザイナーをやっているのだけど、やっぱりこの会社に関わりたいんです。ポスターをつくるとか、デザインができたら一番嬉しいんだけど、そうじゃなくてもいいからここで働きたいんです」
というようなことを打ち明けてくれました。
わたしにはなんの力もないから。
だからなんの助けにもなれないけど、もしかしたら、ちゃんと頑張っていたらそういうチャンスがあると思うから。
ポートフォリオは作ってる?今までの作品の傾向はどう?
自分をアピールするための資料を、ちゃんと丁寧に作り始めてほしい。
きっとそれを、上の人に見せる機会はあるよ。

と、言って、別れました。

それから数ヶ月して
会社がデザイナーを募集し
その子が応募し
わたしは社長にこの子がとても良い子だと耳打ちし
その子が採用され
その子から取ってもらいました!とメールが届き

あれよあれよという間に月日は流れ

その子はどんどん忙しくなって
大きな仕事も任され、プレッシャーも大きくて
でもわたしには何もできないから
励ましたり気にかけたりしながら
わたしはわたしの仕事をして
という日々を過ごしていました。

ある日社長とその子の話をしていたら
「実際、あの子のポートフォリオが一番良かったから」
と言っていました。
ああ、そうなのか、と。
「きっといつかチャンスがあるから、今から準備しなよ」と言ったけど
ちゃんとあの子はそれを実行したんだなぁ。
きちんとあの子の実力が魅力が伝わるモノを見せることができたんだなあ、努力したんだろうなあ。
と、思うと、胸がいっぱいになってしまいました。

わたしも、企画書で入ったので。
どうしたら自分の魅力が1番つたわるだろうかと考えて、手書き文字と絵とイラストと文章を交えて構成し、デザイナーの友だちを捕まえ何度も添削してもらい、
ほんとにギリギリまで、一生懸命作ったから。
今でも、いい企画書を見るとグっときてしまいます。
その背景の気持ちがとても嬉しいからです。
そういう熱量のある人と働きたいと、わたしもまた思うからです。


その、彼女の、初めてのめちゃくちゃ大きい仕事が一つ完成しました。
仕上がりを見たとき、なんだか涙が止まらなくなってしまいました。

夢がかなうというのは、たぶん大変なことです。 
それは、その方向に歩いているようで、しかし夢は形を変えるものだからです。
人も変わります。
状況も環境も変わります。
普遍的なものなんて何一つありません。

だけどその中で、
あのときの彼女が夢見たことが、ひとつ叶った。
その一個の事実が、無性にわたしを感動させました。

よかったなぁ。
頑張ったなぁ。
これからも、一緒に変化して成長していきたいね。

あなたが笑顔で過ごせますように、と、わりといつも願っている。







「星野源」という宗教

わたしは星野源のことが「めちゃくちゃ好き」ではない。
ただ、アルバムは新しい方から2枚持っているし、様々な分野にわたって素晴らしい才能を持った人物だと思っている。
あと、なんだ、こういう言い方はとても嫌いなのだけど
死にそうな病気だったのにその淵から生還した、というスター性がまたすごい。
へらへら笑いながら「だまれブス」とかは思われてみたい。

ここまで読んでみて、なんだなんだ、めちゃくちゃ好きなんじゃねーかサブカル女が!
と思った方、ちょっと早とちりですよ。
わたしは、星野源という人間の、音楽家の面、そして文筆家の面の2つしか知らないのだ。

新幹線に乗ろうと思った時、星野源のアルバムを聴こうと思った。だから、星野源のエッセイも読もうと思った。
今現在、この2つに支えられて文字通り生き延びている。
星野源の音楽は、ジャズに似た雑音と、オーケストラに似た奥行きと、ポップで密度の高いギターがころころ弾ける感覚が面白く、ずっと興味深く聴ける。
「音楽を聴く」というやることがあるから、座っていられる。

わたしは極度の閉所恐怖症で…というかもうなんかそういう様々な精神疾患を重ねて持ってしまっていて、ちょっともう、普通の日常生活が送れないことがたくさんある。
星野源の「地獄でなぜ悪い」を聴くと、こんなわたしは、沢山の人に守られて生きているんだな、ということを反芻することができる。

入社の最後の面接のとき、酷い閉所恐怖症だから、飛行機には乗れないし、新幹線もよくて各停のこだまで、体調の悪い時は鈍行でしか移動できないんですが、それでもいいですか、と聞いた。
これだけは言わないと、みんな困るから。これで落とされても仕方ないと思って死ぬ気で聞いた。
すると、
「きみおもろいな、じゃあなんでこんな人閉じ込める仕事したいんや?」
と、聞き返された。
「え……、きっと、わたしは、他の人の何倍も脱出したいとか変化したいって思っているから。だから、誰もが脱出したいと思うシチュエーションや、脱出したときの感動を誰よりも色濃く演出できるんです。絶対です!」
と、言った。死ぬ気で入りたかったから、はじめてそのとき浮かんだ言葉を、そのまま言った。
そうしたら、取ってもらえた。
今も、わたしの毎日のできないことについても、それは、個性やから。できないことを無理にやって、能率を下げんでええよ、とずっと言っていただけている。

そういえば最近、「どうしてこんなことができないんだ」と、言われない。
自分のことは自分で決めて、できないことはできないんです、ときちんと言って、ちゃんと暮らしていけている。

なんてラッキーな生活なのだ。
わたしには持て余すほどの豊かさだ。
この、充実した社会環境の隙間に、星野源が存在する。
どうしようもない出来事の隙間で、そっと音楽を聴いたり文字を追ったりする。
「働く男」と「働きたくない男」の狭間を揺れ動くさまを想像する。
考えすぎてしまうわたしだから、もっと考えすぎてしまいそうな人のことを想像して、あの人よりは、楽だろな〜と、思う。

いまもまだ星野源を聞いている。
そろそろ大阪だ。
もう一度言うが、わたしは星野源のことが、めちゃくちゃ好きなわけではない。



鮮やかな夜

気持ちがぎゅっと動いた時に、たまに文章が書きたくなるので、ただのブログをはじめてみようと思った。


わたしは、人間、仕事をしているときが一番かっこいいと思っているんだけど、やっぱりそれは正しいんだろうな、とはっきり考えていた。

楽器を弾いてすてきな人は、いつでもステージの上で一番かっこいいところを見せ続けていてほしい。

昨日は久しぶりにライブハウスに行って、とても良いバンドを2つ見た。


どちらのバンドも、嬉しいきもちになるバンドだった。

特に1つ目のバンドはバンドメンバーの人数が多く、ときたま後ろにいる人の音が聞こえていないこともあったと思う。

でも、それでいいんだろうな〜と気がついた。くそまじめなわたしにしては衝撃的な発見だった。

あの人が今出した音は、マイクに拾われず、雑音にすら参加していなかったかもしれない。

だけど、あの人がリハにいたことで、今日ここにいることで、ほかのメンバーの音色って根本的に変わるだろう。

あの人が歌うから、歌わなくなった人。あの人が鳴らすから、リズムを変えた人。あの人がいるから、緊張した響き、リラックスした重なり。それがバンドってもんだろう。

そしてそれが、もしかしたら、社会かもしれないし、会社かもしれない。


わたしはゲームやイベントを作る会社の、中身の制作班だ。

そろそろ入社して一年。

もう一歩、リーダーになる側に気持ちを持っていかなきゃならないし、かといってまだまだ新人だから、たくさん学びたいし、学ばせてくれそうな人の側にいたい。

そんなことを考えたりしているが、わたしってなんの役に立ったろうと、お金をもらえるたびにしょんぼりした気持ちになってきた。

まだ何も成していないのに。

未来に投資されて良い額はもうとっくに越えてしまった。

わたしにはなにができるんだろう。どうしたらいいんだろうとずーっとぼんやり考えてきたが、昨夜、そのバンドを見て、なんだか少しすっきりした。

多分、何かを成したかどうかを判断するのはわたしじゃない人の仕事であって、

わたしがすべきことは、「何かする」だけのことなんだろうなぁって。

それは極端にいうと、毎日出社する、だけでもいいのかもしれない。

チームに参加したことで、変わった何かは絶対にある。それはできれば良い方に変わったほうがいいのだろうけど

もしそうじゃなかったときも、どうしてそうなったか知りたい。またみんなで話したい。

人と関わること、チームになることの本質はそれなのかもしれない。

「あなたとわたしはチームです」と全員が認識すること。

それはチーム外の人もみんな。

社会ってそういうことなのかもしれない。

そんなことを思った。



大人になるってすてきなことばかりなのかも。



次のバンドは、大学のころの後輩がいるバンドだ。

「うち1人知り合い」というだけで、もう真っ当な判断は難しくなっているのだけど、

これまた素晴らしいバンドだった。

アルコールがまったくだめなわたしだけれど、少しだけ呑んだ。

呑んでいて良かったと思った。

とても自由に曲を聴くことができた。


彼は、はじめてあったときから、水の気配のする子だと思っていた。

波の立たない湖のような海で、揺らぐような。そういう場所の近くで、たくさんそういうものを眺めて育ったんだろうなというような。

彼の声や存在からは、そんなイメージがすぐ浮かぶ。

悲しいことや、どうしようもないことを、ただそのままに沈めているような、そんな、すこしふしぎな男の子だった。


彼は、顔はとてもかっこいいんだけれど、分厚いメガネを掛けている。

曲の合間に、メガネを外して汗を拭く。少女漫画か。メガネを掛ける。のび太くんか。演奏しているうちに、どんどんメガネがずり落ちて、とても不便そうに演奏を続ける。ギャグか。


わたしはもしかしたら、とても愛情深く、感受性が豊かな人間なのかもしれない。

いや、まあこれは良く言いすぎたけど。

彼が楽しそうに演奏している姿を見て、心から嬉しく思った。

「自分に向いている場所」に流れ着いたことは、幸運以外の何物でもないと思った。


それと同時に、やはり、やれることのすべてをしないのは、世界に対する損失だとも思った。

やれる環境があり、もしそこに辿り着いているのだとしたら、

自分の能力が最も生きる選択をしなければ。

わたしはわたしが最も得意なことを、きちんとやらなくてはならないなぁ、と思った。



わたしは昨夜、わたしといままで出会った全ての人が、自分に向いた、素敵な場所に辿り着けますように、とこっそり願ったのだった。